しおんのおと

夜紫遠の書き散らしコーナー

カジウラー以前の音楽の話

前回の記事を受け、予想外に多くの方から語感コレクションをお寄せいただいた。

“ひとりじゃないと初めて知った、瞳を開いた♪”(Kalafina/むすんでひらく)

有難うございました。

 

記事を書いていて思い出したのだが、「ゼッタイギオンカン」という狂ったカードゲームが我が家にある。

「ゴッ」とか「ォォォ」とかいう擬音の欠片が漫画調で書かれたカードが手札として配られ、プレイヤーが順番に手札を場に出すことにより、世界に一つだけの擬音が完成する。

「カプペォォォ」とか「ゴッサゴッサ」といった具合である。

出来上がった擬音を見て、「これはどういう状況を表す擬音か」という解釈をプレイヤーひとりひとりが考えて発表する。発表が出揃うと、一番面白い解釈を披露したと思うプレイヤーを全員で指差し投票する。

多くのプレイヤーの票を得られたプレイヤーに1点が入り、ようやく1ターン終了である。回りくどいことこの上ない。

数年前にハンズで衝動買いしたものだが、お察しのとおり、このゲームが我が家で開封された機会はほぼ無い。ゼッタイギオンカンという字面だけで既に出オチ感があるので、取り敢えず来客に箱を見せて「なんでそんなの買っちゃったのw」という瞬間的な小笑いをとるだけの消費方法で今のところ満足してしまっている。しかし、もしかしたら、語感コレクターの方々なら付き合ってくださるかもしれない。深夜テンションでなら。2ターンぐらいなら。いや、面白いのか?本当に?まあやってみなければわかるまい。

 

 

閑話休題、本日はお題をお寄せいただいているので、そちらにお答えする回にしようと思う。お題はこちら。

 

「カジウラーになる前、どんな音楽聴いてたの?」

 

これはぜひ様々なフォロワーさんに私からも伺ってみたい質問だ。

語れるほどのものがあるかどうかわからないが、ひとまず私の回答を綴ってみる。

 

最初に断っておくが、梶浦さん以外のアーティストについては、好きと言ってもせいぜい十数曲(多くて20曲ぐらい)しか曲を知らないケースが殆どである。

大学院生の頃にカジウラーを自覚してから音楽の聴き方が大きく変化したが、それまでは、曲のデータを脳内にコピーしてひたすら反芻するような聴き方でしか音楽に接してこなかったので、一度に好きになれる曲の数が限られていたのである(このような聴き方になったことには多分に、10代の頃の家庭環境が影響している。機会があれば別記事で語りたい。)。

 

それでも好きと言うことが許されれば、梶浦さんの次に好きなのはたぶん中島みゆきさん。それからSuperflyである。

中島みゆきさんの曲は、人の愛し方や憎み方を考える上で長らく心の軸となってくれている。今でもよく歌うのは『銀の龍の背に乗って』『根雪』などだが、特に好きなのは『誕生』。この歌に情感を込めて歌えるような大人になることを最初に夢見たのは15歳の頃だった。「別れゆく命を数えながら、祈りながら嘆きながら、とうに愛を知っている」

30歳になった今は、いつかこの境地に辿り着くことが怖い。それでも、いつか別れゆく命達に精一杯の愛を贈れる自分でありたい、そのために愛を知ろうとし続けられる自分でありたいと思う気持ちには変わりがない。

有難いことに人間関係に概ね恵まれており、人生の多くの瞬間において私の心は友愛で満たされていると思う。けれども『狼になりたい』を聴きながら世の中への呪詛を吐いて紅茶を啜る夜もある(酒と言いたいところだが下戸である。)。愛と憎しみの両方を力強く支えてくれる中島みゆきさんだからこそずっと好きなのである。

 

Superflyは、背筋を伸ばして口角を上げたい時に好んで摂取する。『Wildflower』『Beautiful』『フレア』など。心に向日葵がすっくと生えて、人生を肯定する力が湧いてくるような、太陽の方角に自然と向かえるようになるような感覚が好きだ。「世界で一つの私に幸あれ!♪」

多重人格とは違うが、場の空気やTPOに応じて表出する人格の振り幅が大きいほうである自覚はあり、大きく分けて3つのチャンネルがあるように感じている。各々のチャンネルの柱に梶浦さん、中島みゆきさん、Superflyの音楽があり、三原色の境界はグラデーションを描いており、ラジオのようにツマミを回してその間のどこかにダイヤルを合わせるイメージである。言うまでもなくカジウラーとしての紫遠がメインチャンネルなのだが、比較的陽キャポジティブな紫遠が出てきた場合は脳内にSuperflyがフェードインしていることが多い。

 

 

「もっと知ったら際限なく好きになりそうな予感がする」で止まっているアーティストまで含めると枚挙に暇がない。

 

鬼束ちひろさん。心の中の鬱屈とした部分にくっきりスポットライトを当てつつ、意味深で少し幻想ホラー的な詞にぼかして表現している感じがたまらなく好きだ。もう少しで手が届きそうなのに永遠に開くことができない窓。「私はこの人の闇を一生かかっても知り尽くせない」という感覚がますます恋を掻き立てる。

『月光』『私とワルツを』めちゃ良いよね。毒親育ちとしては『茨の海』が特に性癖である。「いくつもの麻酔で幼い私の正気の在り処をわからなくさせる」は親を暗示しているものと解釈しているのだが、そうすると「祈り」を「放り投げ」る「貴方」というのは一体誰なのか?「在りったけの花で飾って、そうして崩れ落ちて、何度でも」の意味も長らく探し続けている(文芸部で考察したい……。)。

 

ポルノグラフィティ。おそらく最初にハマったJ-POPのアーティストだ。ただし中学1年の時に友達が貸してくれたMD(そんな時代もあったね)に入っていた曲達のみで情報がほぼ止まっているので、正味アルバム2枚ぶんぐらいしか曲を知らない。

好きな曲はアルバム『THUMPx』に集中しており、『シスター』『うたかた』『ネオメロドラマティック』など。総じてバラードに弱そうな予感はある。梶浦さん関連(Kalafina乃至YKLの歌姫のソロを含む)以外では唯一単独ライブに参戦したことがあるのがポルノだ。確か2008年の横浜スタジアムだったと思う。大雨で晴一さんのギターが5本ぐらい死んでた日。

 

コブクロ。『ここにしか咲かない花』を中1の合唱祭で歌ったのがきっかけでハマった。ハーモニーの心地良さに目覚めたきっかけはコブクロだったように思う。曲はアルバム2枚ぶん(以下略)。『Saturday』『桜』『君という名の翼』など。

Saturdayはね、本当に良いよ。それほど有名曲ではないらしくパッと通じる人に出会えていないのだが、ずっと大好きなの。微かに、ほんの微かにではあるが、FictionJunctionの『みちゆき』に通じる空気を感じている。優しさより深い場所で触れ合う痛みの静けさ。つめたい夜をひた歩きながら沈黙と温もりを分け合うような、こんな恋ができる人間になりたい。

 

Sound Horizon。高校2年で厨二病が遅れて来たのでその頃にハマった。アルバム『Elysion』『Roman』に好きな曲が集中しており、あとは『Moira』『Chronicle 2nd』『聖戦のイベリア』『Thanatos』『少年は剣を……』あたりが断片的にわかる程度なのでお手柔らかにお願いしたい。Romanはカジウラーになってから聴くと「えっかおりさんの声だ!」って素でびっくりできたりして楽しい。

ローランの友人達に誘われて初めてカラオケなるものに入った時のドキドキを思い出す(うぶだなあ……。)。マイクに声が全然乗らないしまあまあの音痴でもあったので(歌はあの頃よりは成長したよ本当に……。)、やむをえず台詞担当に回ったところ、じまんぐの声真似がそこそこ似ていて割とウケた。そんなこんなで今でも台詞は概ね諳んじられるが、あの似非じまんぐ声は今はもう出せない。残念だったネェ……

 

 

他にも本当に色々あるんだけど駄目だこれ、予想以上に語りきれないぞ。楽しいお題をありがとう。勝手にいつか第二弾を書かせていただくかもしれない。

今回は「カジウラーになる前」に聴いていた音楽とのことだったので除いたが、Aimerさんや石川智晶さんも最近好んで聴いている。歌姫ソロは主にKEIKOさんを追っているものの、最近織田かおりさんやWakanaさんもめっちゃええやんとなっている。これらについてもいつか大いに語りたいところ。

 

やや尻切れ感があるが、体力が死んでいるので本日はこの辺で。

またね。読んでくれてありがとう。にょんにょん