しおんのおと

夜紫遠の書き散らしコーナー

語感コレクションの話

しおんの音。紫遠ノート。

プロポーズに赤い薔薇を贈るぐらいのベタさ加減だが、他に妙案もないので、当分このタイトルで突っ走る。

どうぞ良しなに。

 

 

さて、私は友達に会う時、いつも我慢している質問がある。

「最近どんな言葉集めてる?」

そう世間話のノリで訊きたい。

「よっ、最近体調どうよ?」「お仕事どうよ?」「ねこちゃんどうよ?」ぐらいの気軽さで訊いてみたい。

でも訊かない。いや訊けない。

ひとえにそれは「語感コレクション」という概念がまだ広く浸透していないためである。

 

浸透するもなにも、「語感コレクション」自体が私の造語なので、知られていなくて当然なのだが、それは私の中ではかれこれ10年ぐらい続いているごく日常的な行為である。

だが、行為に名前をつけていないだけで、似たようなことをしている人は案外多いのではないかと期待してもいる。

その可能性に賭けて、まずは語感コレクションの定義についてここで語りたい。

 

それは文字どおり「語感」の蒐集である。

音の硬さ柔らかさ、重さ軽さ、質感、色。そうした何かが素敵だなと思った単語を集めて、心の標本棚に陳列する。

その単語を単に知っているというだけでは微妙に足りないのがミソである。ああ、いまちょっとふわふわした言葉がほしいな、とか、いまちょっと強そうな呪文を心に灯したいな、という時に、随意に取り出せて愛でることができてこそのコレクションである。

ここで、一般に、ジャンルを問わず何らかのコレクターの方には共感していただけるものと思うが、蒐集物に関する背景知識は必ずしも必要ではない。成り立ちとか、産地とか、どれぐらい珍しいものかとか、知っていれば楽しみ方の切り口が増えることは事実だが、知識がなくともただ並べたり触ってみたりして「綺麗だなあ」と惚れ惚れするだけでも立派なコレクターなのである。

同じことが語感コレクションにも言える。語感は言葉の「音」の側面と密接に結びつくものであり、それを味わうにあたって、言葉の「意味」の側面を具に知っている必要は必ずしも無い。

 

例えば、私の大好きなコレクションの一つに「スッタニパータ」というのがある。

スッタニパータとは、ブッダの初期の教えを収録した経典の一種である。内容は最古の仏教宗派である上座部仏教の教義と密接な関わりがある。

「犀の角のようにただ独り歩め」というフレーズはどこかで聞いたことがある方もいるかもしれない。

ただ、私はスッタニパータを一節たりとも読んだことがない。高校の時、倫理の授業で聞きかじって、「うわあこの言葉の語感めっちゃ好き」と思って、ひっそり心の棚に持ち帰っただけのことである。えも言われず素っ頓狂な感じ、明るく開き直っている感じ、そんな語感が、思春期の鬱屈とした心の中でころころと転がってぽんとはじけたのである。

以来私はスッタニパータに幾度となく救われてきた。落ち込んだ時、お風呂でぽつりと呟く、すったにぱーた。だが、繰り返すが、私は仏教徒ではなく、経典の内容についてもミリしらなのである(上記程度の解説文すらWikipediaで復習しながら修正したほどである。)。

それで良いのである。意味を離れて音を愛づ。それこそ語感コレクションの妙なのだと私は考えている。

 

定義を語ったところで、満を持して私の10年物のコレクションをいくつか披露しよう。

まず、先のブッダ関連で挙げれば、「クシャトリヤ」は最高に良い。バラモン教の階級制度において4階級中2位に位置する階級の名前であり、釈迦はこの身分を捨てて出家して修行の身となり、後にブッダとなる。いや、だから、そんなことはどうでもいいんだって。どうですかこの、クシャって握りつぶしてトリャってぶん投げる爽快感。いいでしょ。いけ好かない上司は心の中で容赦なくクシャトリヤしてやろう。

ブッダを離れて、お次は「ヘモシアニン」。これもかなり蒐集初期(?)からのコレクション。イカ等の軟体動物の血液の青さを作っている色素。人間たちの赤い血を作る色素は言わずと知れたヘモグロビン。だが、ヘモグロビンのそそられなさに比べて、ヘモシアニンのなんと魅力的なことか。気の抜けたコーラのような喉越し。決して美味しくはない、けれどもその脱力した味が肩の力をも絶妙に抜いてくれるのである。

太宰治の『人間失格』の中に、主人公の葉蔵が友と酒に酔い、世の中の名詞を「喜劇名詞」と「悲劇名詞」に分類する遊びに興ずる一場面がある。時が過ぎ、葉蔵が隠遁生活に堕ちきったある日、彼は下女に睡眠薬を買いに行かせる。ところが下女が間違って買ってきたのは「ヘノモチン」という名前の下剤であった。彼は下女に間違いを言って聞かせようとするが、その間の抜けた響きに思わず乾いた笑いを漏らしてしまい、どうやら「ヘノモチン」は喜劇名詞であるようだと独りごつ。

「ヘモシアニン」にも同じく、喜劇名詞めいた情けない道化感が漂う。ただし、ヘノモチンほどの重たさはない。葉蔵がヘノモチンに見出した嘆息は「嗚呼、人間、失格」ぐらいの根深さであろうが、現代人がお風呂で呟くヘモシアニンは、「あーあ、今日って、最悪」ぐらいの軽さで良いのである。そこがまた良い。頻繁に取り出したくなる所以である。

※さっきからなぜ当然のようにお風呂で変な単語を呟いているのかという点についてはあまり突っ込まないでほしい。一人の場所であるだけまだマシである。私にしては。

 

書きながらふと思ったが、擬音語乃至擬態語っぽさを隠している言葉が好きなのかもしれない。

擬音語擬態語そのものにはあまり食指が動かない。それらは元から音や状態を表現するために生み出された言葉であるため、そこに何らかの質感を見出すことに特段の意外性がないのだと思う。あくまで、名詞が本来の文脈を離れてぽつりとスポットライトの中に置かれた時に意図せず醸し出す物語や風合いがたまらないのである(※これは個人的な蒐集嗜好の問題にすぎない。)。

赤コーナー、擬音語っぽいコレクション代表、「タルトタタン」。林檎のキャラメリゼを用いたタルトの名前だ。そのままでも十分美味しそうだが、敢えて語感だけをぽんと取り出して味わってみると、軽快なタップダンスのステップを踏んでいる感がなんとも癖になる。心が浮き足立っている時に口にしたい言葉ナンバーワンタルトタタン。タタンタンタタン。タンタタタン。

青コーナー、擬態語っぽいコレクション代表、「メソポタミア」。これはメソ・ポタ・ミアと3等分してじっくり眺めてみてほしい。メソメソ、ポタポタ、ミアミア。どこからか聞こえてこないだろうか。めそめそ涙を流しながらか細く鳴くねこちゃんの声が。よしよし。かわいそうに。

これは持論だが、ねこを愛でる現代人の深層心理には、無視できない割合で「ねこになりたさ」が潜在しているように思う。したがって、人が「メソポタミア」と呟くその時、人はしばしば、泣いているねこちゃんに己を投影する。「大人だって時にはオギャりたい」という格言がしばらく前にバズったが、人間だって時にはメソポタミアりたいのである。己を抱きしめてよしよしかわいそうにと撫でてあげたい時に、ぜひ使ってみてほしい。メソポタミア

 

ねこと言えば、「ラングドシャ」も最高だ。ご存知、猫の舌という意味の菓子で、ラング・ド・シャと切るのが正解だが、語感コレクターは容赦なくラン・グドシャと切る。ランラランと暢気にスキップしていたら突然落とし穴にハマる感。持ち上げられといて落とされる感。

「あいつ、アタシに気があるふうだったくせに、彼女いるんだって。マジラングドシャ

100点。流行れ。ラングドシャ

 

ここからは辞書に載っている名詞を離れてみよう。

「ハッフルパフ」。ハリーポッターに出てくる寮名の一つ。これはもう温かいものをハフハフしながらパクついているようにしか聞こえない。コンビニの前で肉まんをハッフルパフする女子高生達。愛しいね。寒くなってきたから友達と鍋を囲んでワイワイハッフルパフしたいね。家片付けとこ。

それから、雷を呼べそうな呪文っぽい語感にも非常に弱い。最近フォロワーさんとお話していて偶然気に入ったのが、皮膚科のお薬の一種「デルモベート」。

これは最強。そこはかとないヴォルデモート感。絶対闇の魔術でしょ。杖から放たれる緑色の光が重く垂れ込める暗雲を貫いちゃうでしょ。

最後にお見せするのは、雷を呼べそうな語感の個人的代表選手、ロシア語でこんにちはという意味の「ズドラーストヴィチェ」。

絶対大きいやつが落ちてる。ズドラーストやで。ズドーンの最上級でしょ。雷界でいうところのメラゾーマ

実は、社会人1年目の夏、同期の女の子と研修帰りの新幹線で隣の席になった時、彼女が学生時代ロシア語選択だったと言うので、思わず口にしてしまったことがある。

「ズドラーストヴィチェってさ、雷落ちてる感じするよね」

一瞬彼女は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。しまった、絶対おかしな奴だと思われた。無難で目立たぬ社会生活を送ろうとしていた計画が崩れ落ちる音を聞いた。ちなみにこの瞬間に私の脳裏を過ぎった語感コレクションは「ヘモシアニン」である。

しかし次の瞬間、彼女はふっと頬を綻ばせ、こう言ってくれた。

「ズドラーストがズドーン!感あるよね。で、ヴィチェで川氾濫してる。びちゃー!って感じ」

現人神かと思った。私は一瞬で気を許してしまった。職場では無愛想で人付き合いの悪いキャラを貫き通しているが、以来、彼女とだけはよく二人でご飯に行く。

 

 

どうだろうか。ほんの少しでも興味を持っていただけただろうか。

皆様も今日からやってみませんか、語感コレクション。

実は私もやっていたよという方がいれば是非ともお声がけいただきたい。きっと一瞬で懐くので。

 

語感コレクションの概念が晴れて普及した暁には、こんな会話もなされるようになるだろう。

「よっ、最近、どんな言葉集めてる?」

「『ニカラグア』の豪快な笑顔感がアツい」

「『モンモリロナイト』って、ねこちゃん同士がもちもちくっつきあって眠ってる感じしない?」

「わかりみふかし芋ー!」

 

いつになるかは知らない。

けれども、そんなおかしな未来をのんびり待っている。