しおんのおと

夜紫遠の書き散らしコーナー

コタツと猫「たち」の話

実家に寄ったらコタツが出ていた。

もうそんな季節か、と思いかけたが、そういえばこの家は夏以外コタツを出し続けている。

今年11才になる猫のせいだ。

ブリティッシュショートヘアという品種のオスである。グレーの被毛に、ふくろうのような金色の目。グレーの猫というとロシアンブルーのような高貴な姿をイメージする方が多いかもしれないが、ブリティッシュショートヘアというやつはどうにもぽてぽてする傾向にある。表情も心なしか常にきょとん顔だ。そんなところがまた可愛い。

ぷっくりしているので名前は「ぷっく」である。母による命名なのだが、本人はそのことを都合よく忘れており、「私はアルバートとか格好いい名前にしたかったのに」と他責的態度である。

ぷっくはコタツを猫専用のテントだと考えている節がある。姿が見えないと思うと大抵そこにいる。人間がコタツに電源を入れると、やや間を置いて、あからさまに迷惑そうな顔をして頭を振りながらぬるりと出てくる。「ヴァアァアアオオオン」と不満げに長く鳴く。したがって真冬でも我が家のコタツに電源が入れられることはほぼ無い。

 

ところで、ご存知の方も多いが、私は極度の猫狂いである。猫を前にすると声が1オクターブ上がり、マセガキであった本物の幼児の頃には決して使わなかったような幼児語で猫相手に支離滅裂な愛を浴びせ続ける別人格が顔を出してしまう。

「アラ〜〜〜〜カワイイカワイイデシュネエ〜〜〜♡♡♡どこのネコチャンですか?エッ?ウチノコ!?ソウナノ〜〜〜!?ビックリ〜〜〜♡♡♡このポンポンマズルはなぁ〜に?まあるいキャンディが詰まってるの?おひさまのおあじなの?ソウナノ〜〜〜カワイイイノチダネエ〜〜〜♡♡♡」

この間、ぷっくはニャアとも鳴かずにただきょとん顔で私を見つめている。父母はもはやツッコみもしない。

この態度でありながら、実家にいた頃、家族で最も猫に懐かれていたのは明らかに私であった。父母は口を揃えて「理不尽だ」と言っていたが、洞察が甘い。猫に対して、私は単に一方的な愛情を押し付けるだけの馬鹿に成り下がっているわけではない。その裏で不断の努力によって愛猫の信頼を勝ち得ているのであるから、嫉妬される筋合いはないのだ。

努力のコツは至ってシンプル、「相手の目線に立つ」ことである。友好を深める極意は、対人関係であろうと対猫であろうと共通なのである。

すなわち、猫が窓辺で寝転んでいれば匍匐前進でにじり寄り(?)、猫同士がするように鼻をくっつけて「ぷーたん♡♡♡おとなりいいでしゅか?」と挨拶をし(?)、それから隣に香箱座りをして小一時間日向ぼっこをする(??)。

いや、対人関係でこんなことしてたら不審者ですね。すみません。だが、対猫関係ならこれが正解。文字どおり猫と同じ目線で景色を見るのである。

そうすれば、アンモニャイトがくっつき合うようにごく自然に背中に触れることができるし、兄弟猫が毛繕いするように優しく手を動かせば撫でてやることができるし、あわよくば猫吸いもできる。猫素(ニャンソ)は人体の必須栄養素であるので、補給の機会は逃さないことが肝要だ。

のみならず、「(あ、このソファーカバーのフリンジ、ここから見るとじゃれつきたくなるから買い替えたほうがいいな)」とかいうのもわかるし、実際猫がソファーで爪とぎをして母に怒られると「しょうがないよ、じゃれつきたくなるような物を買ってきた人間が悪い」と庇って「(こいつ話がわかる奴だニャン)」という目で見てもらえたりもするのである。話がわかる奴というか、要は多分猫仲間として認識されるようになるようになるだけなのだが、それも本望である。

 

さて、久しぶりに実家に帰ったというのに、ぷっくがコタツから暫く出てきそうもない。こんな時、「相手の目線に立つ」が発動されると、何が起こるかといえば、私は躊躇なくコタツに頭を突っ込む。なんだよ!そんな目で見ないでくれよ!!だって寂しいじゃないか!!!会いたいじゃないかネコチャンに!!!!

タツの中は、焦げた埃がこもっていて当然のごとく非常に臭い。猫は鼻が利く動物だと耳にしたことがあるが、聞き間違いだろうか?

暗闇の中でぷっくの目がきらりと光る。暫く出てこないからといって寝ているわけではないのだ。単にぷっくにとってはこの臭いコタツが巨大なコージーコーナーなのである。信じられないことだが。

ぷっくに「なわばりにおじゃましましゅよ」の鼻チューをして、辺りを見回す。すこぶる臭いということを除けば、確かに居心地が良いのかもしれない。猫は薄暗くて狭い場所を好む習性をもつ。コタツの中は、閉鎖空間でありながら身体を伸ばすに足るスペースが確保されており、体感的にはほどよい狭さなのかもしれない。

そして、電源が入らない限りは春でも冬でもほぼ一定温度で、仄かに暖かい。これをテントと見なしているのなら、電源が入ったら確かにさぞ迷惑だろう。「茶トラ模様になってまうやないかい」と文句の一つも言いたくなるだろう。

 

母はコタツからはみ出ている私の脚を乱暴に踏んづけていった。およそ人間の娘に対する所業ではないが、私のしていることがおよそ人間らしくないので、仕方がないかもしれない。

「猫産んじゃった、猫産んじゃった、猫産んじゃったら失敗だ♪」

と歌う声がコタツ布団ごしに聞こえてきた。

失敗作呼ばわりされるのには飽き飽きしているが、このパターンは久々に笑えた。視野狭窄にして癇癪持ちにして我田引水、およそ人の親たる器ではない我が母ではあるが、こういう時折妙に当意即妙なところはそれほど嫌いではない。

 

 

今世でも半分猫化しているそんな私だが、もし生まれ変わることができるのなら、来世では絶対に本物の猫になりたい。

猫になれるとしたら模様は白黒ハチワレな気がしている。別に今世の髪型が八割れであるというわけではない。なんとなくそんな予感がするだけである。ハチワレ角(?)は狭めで、両目は黒毛ゾーンにすっぽり隠れると思う。口の周りの白毛ゾーンがにんにくみたいな形に見えるやつだ。

あるいは、徳が足りれば、模様を自分で選ぶこともできるかもしれない。選べるとしてもハチワレが良い。足は白ソックス模様にしよう。その場合は3本だけソックスを履いて、1本だけ脱げているような模様にしようと思うので、みなさま目印にしてほしい。飼ってくれそうなフォロワーさんの目の前に飛び出して元気よく媚び鳴きするつもりだ。

ハチワレの猫に生まれ変わりたい旨を主張しすぎたせいで、母には数年前から「ハッチ」と呼ばれている。実名にはかすりもしていない。某バスケ選手が活躍し始めた頃からは時々「ハチムラさん」になることがある。運動音痴が運動選手と同じ名前で呼ばれるのは何かこう、非常にムズムズする。全国の運動音痴のオオタニさん達もこんな思いをしているのだろうか。

 

亡父は私に輪をかけて猫っぽい人だった。大きくて眠たそうな目といい、どこか悠々とした構えといい、気まぐれで神出鬼没なところといい、醸し出す雰囲気が猫なのである。

極めつけは部屋着の色だ。無印良品を好んでいた父は、家ではいつも代わり映えのしないグレーのスウェットを着ていた。コタツでゴロゴロしているグレーの父の横にグレーのぷっくがぽてぽてとやってきてドデンと寝転んだりしようものなら、絵面は完全に男子シンクロニャイズド睡眠グである。

父のことを「ボス猫さん」と呼んで憚らず、「この家に人間は私しかいない」とよくこぼしていた母だが、「パパのことは初めて会った時から猫みたいな人だなと思った」と供述している。好きでグレーのボス猫と結婚してハチワレの猫の卵を産み、さらにグレーの舎弟猫まで迎えたというわけだ。文句をつける資格はあるまい。

 

呼び名、呼び名ね。そう、母は人の呼び方がどうもおかしい。ハッチ呼ばわりされるようになる前も、家の中では実名を呼ばれていた記憶があまりない。母は感覚的かつ理不尽な渾名をその時々の気分に応じてファッション感覚でつけ替える人である。最も頻度が高かったのは「ピヨチヨさん」だった。伝説のスタフィーというゲームに出てくるピヨチヨというモンスターに私が似ているからだと言っていた。はっきり言おう、大して似ていない。単に語感がお気に召しただけだろう。

「ペペンキュー」「マメムーチョ」のような完全に由来不明のものも多々あった。おそらくあの人は私のことを娘とかではなくペットか何かと見なしている。ああ、そうでした、猫なんでしたね。あれ、でもピヨなら鳥か。ペペンはペンギン?ならやはり鳥なのか?? もうなんでもいいや。

 

亡父も亡父で、別の意味であまり実名を呼んでくれなかった。というより、総じて人の名前をあまり呼ばない人だった。「おい」とか「ちょっと」で呼び止めちゃうタイプ。よくいると言えばよくいる。

駄洒落が好きな人だったので、単発の渾名をつけられることはままあった。幼稚園生の頃にインフルエンザで倒れれば「インフル園児」、大学生の頃に花粉症を発症して洟をすすっていれば「洟の女子大生」という具合だ。しょうもなさすぎて一周回って好きだが、言ってから自分で笑ってしまうところは残念極まりない。

こんな両親に育てられたので、私は実名を呼んでくれる人が好きだ。「紫遠」も第二の実名として末永く使いたくて一生懸命考えた名前なので、紫遠呼びも勿論嬉しいが、第一の実名で呼ばれることにも慢性的に飢えているので、ご存知の方は時折呼んでくだされば喜ぶ。

 

そういえば、一度だけ亡父にハッチと呼ばれていた(?)ことがあった。面と向かってではない。亡父のパソコンを触っていて偶然知ったことだ。

まず、遺品整理の過程でパソコンのパスワードが書かれた紙を発見したのだが、それは暗号で書かれており、その解読のヒントはなんと生前私と父とが交わした会話の中にあった(こんなこと現実に起こるんだ!)!

というわけで、亡父がこうなることをどこまで予期していたかはわからないが、私が貰い受けて良かろうという結論になった。

自分のものとして使い始める前に、データは極力覗き見ることなく消去しようとしていたが、一つだけどうしても気になってしまうフォルダがあった。「デカいネコ」と題されたフォルダである。

「(……デカいネコ?ぷっくのことか?)」

そこから先は以前ツイートしてバズったとおりである。誘惑に負けてフォルダを開くと、なんと、そこには私の写真しか入っていなかったのである。これには盛大に笑い泣きした。なお、笑い泣きとは、笑いすぎて涙が出る現象のことであって、感情としては笑い100%である。

デカいネコだと思われていたwww 父にさえもwwwww

 

その中に、職場の採用パンフレットに縁あって抜擢された時の写真があった。短いインタビュー記事の横に、OLのコスプレをしたデカいネコ。猫らしからぬ美辞麗句を連ねて誇りと夢を語っている。

その写真のキャプションにこう記されていた。

「ハッチ、ハッチメンロッピ(八面六臂)の大活躍。」

 

これにはちょこっとだけ泣き笑いした。泣き笑いとは、泣きながら笑う現象をさす言葉であって、感情としては涙と笑いとが複雑な割合で入り混じったものである。笑い泣きと泣き笑いって別物なんですよ。これマメな(?)。

 

全くダジャレストらしいというか、しかし、そういうのは直接言ってくれないかなー!もー!貴重な照れ笑いするデカいネコが見られるチャンスをふいにしたぞー!!!←

まあ、後半、私は父のオヤジギャグにまあまあの割合でチベットスナギツネのような目を向けてしまっていたので、これが日の目を見なかったのも私のせいかもしれない。大変惜しいことをした。ギャガー諸君よ、私は学んだ。ギャグとは口に出してなんぼだ。思いついたら全て口に出してみろください。スベらせないから(怒らないから言ってみなさいみたいになっちゃった。意味が逆←)

 

八面六臂のハチワレキャット。語感コレクターにとっちゃドツボである。来世で二つ名にしよう。サンキュートーチャン。

 

 

若干しめっぽい空気にしかけてしまったが、本意ではない。総じてうちの家族の(主に存命組の)各々どこか頭のおかしいところが少しでも面白可笑しく伝わっていれば満足である。

ある意味ぷっくが一番まともかもしれない。いや、前言撤回。あんなに臭いコタツの中に好んで棲み着いているのだ。奴とて到底まともではあるまい。